このブログも放置して1年以上たっていました。
昨年から今年にかけては、息子の就職活動、卒業、就職、おまけに結婚。娘の大学受験、入学と非常に慌ただしく気苦労の絶えない日々で、ブログを書くという気持ちの余裕がなかったようです。
またぼちぼちと再開していきます。
ゲーデルの不完全性定理といえば、(数学以外の分野において特に)誤った理解と使われ方をすることが多いようです。私も独学で勉強して、なんとか理解できそうな気分にまでたたどり着きました。まぁ、単なる思い込みとか勘違いの可能性も高いのですが。
いろいろと書籍も買いましたが、最終的に一番読んだのが、岩波文庫の「ゲーデル 不完全性定理 (林晋/八杉満利子 訳・解説) ISBN4-00-339441-0」 です。文庫本なのでカバンに入れておいてもかさばりませんし、スーツの上着のポケットにも入ります。書評はあちこちにありますが、総じて評価も高いようです。ゲーデルの不完全性定理の原論文の日本語訳と、その背景となった数学史的解説、および論文そのものの数学的解説という構成となっています。
最初に論文の日本語訳を読んだ(読もうとした)時にはまったく理解不能でした。数学史的解説部分も自分にあまりにも知識が少なすぎるため理解できませんでしたが、文章が読みやすいことと、当時の数学界の人間関係などあたかも小説を読んでいるようにスラスラと読めました。
全体を5回くらい読んだ頃に「100回くらい読めば、分かった気になれるかも」と思えるようになり、その後100回とまではいきませんが、もう20回か30回くらい読んでいるでしょうか。いまは、ゲーデルの論文の6割か7割ぐらい理解できたかなと思い(込んでい)ます。
アマゾンの購入履歴を確認したら、2011年10月4日に注文していましたので、ちょうど2年経っています。2年間、諦めもせず数十回も読めたというのは、それだけでも良い本なのでしょう。
ただ、ゲーデルの論文の日本語訳は、当時の原論文を忠実に訳してあるだけなので、現代的な論理学の標準的な記法と異なっており、かなり読みにくいです。例えば、「任意のxについてRである」は、現代的標準的記法では、 ∀xR と書くところを、デーデルの論文では xΠR と書いているとか。内容の難しさ以前に、このような点でかなり躓きました。
また、用語や記法が論文の場所によって変わったりもします。上記の「任意のxについて命題Rがなりたつ」をあるところでは単に (x)R と書かれたり、また"~ "記号は体系Pの中では否定記号ですが、別の場所では同値を表す記号になったりしています。ある程度理解できるようになってくると、用語や記法が違うのは、違う概念レベルの議論の時(体系Pについての議論と、数論的議論と、超数学的議論のような)ということがわかってくるのですが、最初は混乱しまくりました。
ゲーデルの原論文を日本語訳しているだけなので、訳者の林さん、八杉さんの責任ではないでしょう。
不完全性定理に対する私の理解度(ただし、自己評価による)はどの程度かというと、ゲーデルの論文の定理Ⅴまでは理解したつもりです。定理Ⅴの証明はゲーデルの論文では「帰納法の仮定から困難なく証明できる」としか書いてなくて、自分としては「直感的にはそうだろうと思える」という理解していなくて、本当に証明してみたわけではありません。
そういえば定理Ⅳの証明の理解もちょっと妖しいかも。ちゃんと紙とペンを使って追いかければいいのでしょうけど、電車の中で頭で追っかけただけなので。
再帰的関数の定義1~45(p31~p39)は一つ一つ追いかけていきました。このあたりは通勤中の読書では理解不能で、参照関係をExcelの表に作ったりもしました。
思い出したのでここで書いときますが、この定義1~45の記法がバラバラで理解を妨げてくれます。
例えば、定義21の Op(x,y,z) は、「ゲーデル数x,y,zを引数とし論理値を返す関数」と考えられます。一方、定義24の v Geb n,x も「ゲーデル数xとv、および数nを引数として、論理値を返す関数」と見なせます。このように関数を前置記法で書いたり、中置記法(しかも3変数のうち、一つを前に、残り二つを後ろに)で書いたり。
定理Ⅵは、かなり技巧的でまだ十分に理解できていませんが、(8.1)の式が対角線論法を使っている部分なんでしょうね。
定理Ⅶの証明も技巧的ですよね。特に、補題1の「任意の自然数列fと、任意の自然数kに対して、fの先頭k個の要素をn,dという二つの自然数で代表させることができるような対応をつくることができる(そして、作っている)」(かなり意訳)は、脱帽ものです。(数論やっている人には当たり前なんでしょうか)
残り3~4割も頑張って(楽しんで)理解しようと思います。